大阪高等裁判所 昭和56年(人ナ)5号 判決
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【判旨】(関係人仮名)
一<証拠>によれば、関係者の身分関係、本件に至る経緯、本件拘束の経過及び状況等はおおむね次のとおりであることが疎明される。
1 請求者甲野太郎(以下「太郎」という。)と拘束者甲野花子、金明淑こと金静南(以下「花子」という。)は、昭和四五年ころから内縁関係にあり、同四七年四月二五日花子は被拘束者甲野美美こと金美美(以下「美美」という。)を出産し、神戸市葺合区(現中央区)において右三名で居住していた。しかし、同五四年一〇月ころから太郎と花子は別居し、太郎は他の女性と生活を共にするようになり、同年末ころには太郎と花子の内縁関係は事実上解消された。じ来、美美は母花子のもとで同女により監護養育されてきた(以上の事実のうち、太郎と花子が内縁関係にあつたこと、昭和四七年四月二五日美美が出生したこと、その後右内縁関係が解消され、花子が美美を養育監護していたことは当事者間に争いのないところである。)。
2 昭和五五年八月、太郎は美美を伴つて北海道へ旅行することになり、花子もこれを了承して美美を太郎に引渡した。太郎は、その旅行中に美美からホステスとして働いている母花子が店の帰りに男の人を連れて来て夜中に声がしてなかなか眠れない旨の話を聞き、花子に美美を委ねておくことに不安を感じ、美美のためには自ら同女を監護養育するのがよいと考えるに至り、同月三一日旅行から帰つてからも美美を花子に引渡さなかつた。
そして、太郎は、翌九月一日、他の用件を理由に電話で花子を呼出し、同女をホテルに同行させたうえ、子供は預けてある旨述べて同女の男性関係について詰問し、太郎において全部記載した甲第三号証の誓約書(その内容は、「一、今般子供の養育について母より父に親権を渡すものなり。一、事由母の男性(乙山某)関係にあり父親としてはそれを容認できない。一、子供が成人して子供の判断で母のところにかえると言えば無条件でかえす。昭和五五年九月一日 父甲野太郎 母甲野花子」となつている。)を示じ、これに拇印を押すよう強く迫つた。これに対し、花子は納得できず泣いて拒絶したが、太郎から一、二回殴打されるなどしてやむなく母甲野花子と記載された下に拇印を押した(以上の事実のうち、太郎が昭和五五年八月美美を伴つて北海道旅行したこと、花子がホステスをしていることは当事者間に争いがない。)。
3 かくして、太郎は美美を自分の手元に置き、吹田市立豊津第二小学校へ通わせるようになり、美美は、太郎とその妻秋子、その間に生まれた一郎(昭和五四年八月二七日生)、及び秋子の連れ子とともに生活するようになつた。
4 花子は、前記誓約書に拇印を押したもののその内容が自分の真実の気持と異なり、また、美美の生活が気にかかり、両親に相談したり、警察へ保護願いを出すなどして美美を自己の手元に取戻すことを考えたが果たせなかつた。
そこで、花子は、他に手段がないと考え、美美の通学している学校を調査したうえ昭和五五年九月一六日、登校途中の美美に声をかけて同女を自宅に連れ帰つた。その際、美美は抵抗することなく、花子について帰つた。その後、美美は、同年一〇月から母花子の両親の家(六畳三間、四畳半一間、七畳半台所、応接間)で母花子とともに生活し、同年一一月ころ再度転校手続をすませ、現在花子の監護のもとで通学している。
5 太郎は、昭和五五年九月二七日に至り美美を認知し、花子に美美の引渡を求めたが、花子側ではこれにとりあわなかつた。
現在、太郎は、肩書住所の三LDKのマンションで妻秋子、子一郎の三人で生活し(前記秋子の連れ子はその後父方に引取られた。)、他の店舗でブティックを経営し経済的には安定した生活をしている。そして、花子には男性の出入りがはげしいため美美の養育を委ねるのは子供の幸福にならないと信じ、他方自分が美美を養育する場合には妻の理解もあり(妻は美美の養育監護に協力する姿勢を示している。)美美の幸福につながると考えて本件請求に及んでいる。
6 花子は、昭和五五年四月ころ、店で前記乙山某と知り合い、一時は結婚相手として同人と付き合つていたが、再婚に反対で二人だけの方がよいという美美の気持を考えて同年八月ころ同人とは交際を断ち、現在特定の男性との交際はない。
花子は、現在も、生活のためにホステスとして勤務している関係上午後七時半ころから午前一時ころまでは家をあけることになり、また、将来引続いて父母の家で生活する意思は必ずしもないようであるが、美美の日常生活に必要な身のまわりの世話は殆んど全部自らこれを行つている。そして、父母と別居するようになつた場合には美美が不自由な思いをしないよう出勤後美美が就寝するまでの間同女の面倒をみてもらう人を確保することを考えるなど子の監護についてもそれなりの配慮をし、また、今回親の意向で美美が何度も転校を余儀なくされたことに対しても責任を感じており、実母としての愛情を持つて美美を養育監護する意思と能力を備えていることが窺われる。他方、美美も現在母花子及び祖父母のもとで比較的安定した平穏な生活を送つている。
以上の事実が疎明され、<る。>
二そこで、以上の事実関係に基づき、本件請求の当否について判断する。
1 美美は現在九才の児童であり、ある程度の弁識能力はあるが、右の年令では児童じしんに監護者を選定するについての十分な意思能力はないものというべきであるから、美美を現実に手元において監護することは、人身保護法にいう「拘束」に該るというべきである(なお、被拘束者である美美は外国人であるが、人身保護法による救済は憲法一一条、九七条などの精神に照らし、日本人であるか外国人であるかを問わず、日本国にあるすべての人がこれを受けることができるものであつて、人身保護法一条の規定も外国人を排除する趣旨までを含むものではないと解される。)。
2 請求者太郎は、昭和五五年九月一日、拘束者花子との間で前記甲第三号証の誓約書により被拘束者美美の養育監護を母花子から太郎に移す旨の合意が成立したと主張する。そして、右甲第三号証の甲野花子の氏名の下に花子が拇印を押したことは前記のとおりであるが、同書面が作成された前後の前記状況に照らすと、これが花子の自由な意思に基づいてなされたものとはとうてい認められないから、同号証によつては請求者の右主張事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる疎明はない。
3 花子が、太郎のもとから通学途上の美美を連れ帰り、自らの監護下においた行為(本件拘束)は、それが物理的強制を伴わなかつたとしても美美に少なからぬ精神的動揺を与えたことが予想され、その手段で、方法において不法性を否定できない。しかし、花子がこのようないわば実力行使に出たのは、前記のとおり、太郎が旅行から帰つて後も美美を花子のもとに戻さず、前記誓約書の作成を迫るような行動に出て、美美を同様に実力で自己の監護下においたことに基因していることが明らかであつて、本件事実関係のもとでは花子のとつた前記行為の不法性のみを非難するのはあたらない。
4 次に、請求者及び拘束者の監護状況等についてみるに、太郎が旅行から帰つて後美美を自己のもとで監護するようになつたのは美美の将来を心配する父親(当時はまだ認知していなかつたが)としての愛情からであつたこと、太郎は現在ブティックを経営して経済的には比較的恵まれており、また、妻も美美の養育監護に協力する態度を示していることがそれぞれ認められる。しかし、美美が太郎のもとで生活する場合には、美美の日常の世話は太郎の妻に委ねられざるを得ないところ、同女はこれまで美美とわずか半月ほど生活を共にしたにすぎないうえ同女には太郎との間に生れた子一郎(満一才)があり、美美との間に母と子としての精神的なつながりを持つて美美の日常生活について十分な面倒をみることができるかどうかについては疑問が残る。他方、美美の実母である花子は、前記のとおり、一時乙山某を結婚相手として同人と交際していたが、美美の気持を考えて同人との交際を断ち、現在特定の男性との交際もないこと、また、花子は経済的に必ずしも豊かでないところからホステスとしての勤務を継続しなければ判旨ならない状態にあるが、前記のとおり実母としての愛情をもつて美美の養育監護にあたる意思と能力を持つていること、美美は太郎のもとで監護された約半月間を除いてこれまで母花子と日常生活を共にし、その監護のもとで生長してきたものであり、現在も花子の監護下で比較的安定した平穏な生活を送つていることなど諸般の事情を総合して考えると、美美にとつては太郎のもとで養育監護されるよりも実母である花子のもとで養育監護される方がその幸福に適するものと考えられる。
(なお、太郎は、前記のとおり昭和五五年九月二七日美美を認知したがこれにより同女の親権者になつたわけではなく、同女の親権者は母花子であると解される((法例二〇条、民法八一九条四項参照))。)
5 以上の諸点をあわせ考えると、拘束者花子の被拘束者美美に対する拘束には顕著な違法性があるとはとうてい認めがたい。したがつて、美美を拘束者花子から解放することは相当ではなく、本件請求は理由がない。
よつて、人身保護法一六条一七条、民訴法八九条にしたがい、主文のとおり判決する。
(栗山忍 村上博巳 川端敬治)